大阪の建築家 石丸信明

カフェ・デ・マーゴのテーブル

先日、久方ぶりにパリ サンジェルマン ヂュプレに、あるカフェ・デ・マーゴを訪れた。相変わらず私を含む、パリの異邦人で満員だった。中でも、久しぶりに驚いたのは、そのテーブルの狭さだ。二人掛けのテーブルは、幅63cm、奥行き53cm、高さ70cm。その脚は、座る人にとって邪魔になる。さらには、全体の中でぎゅうぎゅうにレイアウトされているため、椅子に座ると店の人がぎりぎりまで机を押し込む。この寸法感覚は、恐らく平面図に描いてみると、私自身成立していないと判断する狭さだ。しかし、それを補っているモノがある。人の会話だ。皆のおしゃべりの中では、不思議と自分たちの会話に没頭できる。うまくはまれば他人の会話は、人の高揚感を刺激する。カフェ・デ・マーゴでは、他人の会話が、まるで自分たちの会話のバック グラウンド ミュージックのように聞こえる。お仕着せの音楽よりも、勝手にしゃべっている人の会話が心地よい。サルトルやボードワールの議論の場であったことがよくわかる。決して、静かなカフェでお互いの会話に集中したのではなく、皆がわいわいがやがやとやっている中で自分たちの会話をもり立てていったのであろう。さらには、天井が高い。平面的な圧迫感が、空間のボリュームの中でうまく解消されてしまう。
その前1週間ドイツに滞在していたのが、このような経験は皆無だった。もちろん、アメリカでも。さらには、最近の日本でも。どこの場に居ても、一人当たりの寸法はきちんと確保してある。決して、その狭さをヒューマンコンタクトを取りながら補うところまで、寸法が追いつめられていない。むしろ、ヒューマンコンタクトを避けたところで決まってしまっているのであろうか。フランス人の会話への興味、さらには人とボディコンタクトもいとわず、人とコンタクトを取ろうとする人間好き。それが、このカフェ・デ・マーゴの雰囲気を形成している。人との会話を楽しむことがが最高のサービスであれば、広いことよりも狭いことの方がいい。そういえば、以前渋谷神泉にあったおいしい蕎麦屋では、蕎麦にありツくために皆がいちいち謝りながら椅子をかき分けていた。会話や味は、人間の寸法関係までもコントロールしてしまう。ふと、考えさせられたカフェ・ド・マーゴのテーブルであった。