大阪の建築家 石丸信明

便器の水たまり面

古来日本では、便所のことを川屋、御不浄と言い、日本人固有の便所観があります。ベトナムのフエのフォン河を舟で川下りをしていたときに目にしたベトナム流のトイレは、河に向かって台があり、しゃがむと目線が合わないようになっています。人は便意を催すと、その水面に作られた台に上り、河に向かってコトを行う。恐らく、昔の日本の川屋もこのようなものではなかったかと考えられます。
谷崎潤一郎の「陰影礼讃」においても厠について言及し、つくづく日本建築の有難みを感じると言っています。「ある程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必数の条件なのである。」便所は、人間にとって排泄する快感の場であり、実は楽しむ場所なのです。
日本では、ほんの40年前には、洋式便器を余り目にすることはありませんでした。インフラとしての下水道が整備され、便器が和式から洋式に。更に洋式便器の洗浄方式が洗い落とし式や、サイホン式からサイホンゼット式に移行するにつれ、水たまり面が大きくなってきました。
便器は、実はこの水たまり面の大きさが、使う人の意識を変える重要なポイントなのです。汚物が、直接水の中に落下するので、臭いや汚れの問題がかなり解決されるようになりました。
便所の住宅の中での在り方が、実はこの設備面での進化と共に変わってきた歴史があります。くみ取り式の和風の頃には、如何にに母屋から離し、臭いの問題をクリアーするか腐心していました。下水道が整備された和式便所の頃には、便器の廻りのそそうを解決するために床、壁がタイル貼りの水洗いできるスペースでした。しかし便器そのものがそれらの問題をかなり解決してくると、便所の仕上げ自体も一般居室並になってきています。
便所がより生活の中に組み込まれていき、もうすぐ、アメリカのホテルのようにあっけらかんとバスの隣にあったり、ひょっとすると、ダイニングの直ぐ横に便所があっても気にならないような意識を持てる日がやって来そうな気がします。