阪神淡路大震災を振り返って

query_builder 2023/05/15
ブログ

1995年1月17日阪神淡路大震災は、私にとって、大きな転換点となる出来事でした。

あれから28年。人と未来防災センターが主催する「防災100年えほん」に応募することをきっかけに、あのときの体験を率直に綴ってみました。


2023/05/15

ARX KOBE/石丸信明


沈む太陽は不思議いろ わたしたちの六甲山  


西宮


1995年1月16日夕方。阪神高速神戸線を、大阪から神戸に戻る途中の西宮。わたしたちの六甲山が、正面に迎えてくれる。その六甲山に太陽が、沈んでいく。その太陽いろは、イエローとも、ゴールドとも、オレンジとも見えた。不思議いろだった。あたかも、宇宙を題材にしたエスエフ映画を見ているかと感じた。  


神戸深江


寒い日だった。六甲山と向き合うように、マンションが建っていた。九階で、親子五人川の字に、かけ布団をかぶって寝た。

1月17日未明。今まで聞いたことのない地鳴りがやってきた。眼が覚めた。しばらくして、いきなり下から突き上げられた。ミサイルが落ちたのかと思った。布団の中で、夜が明けるのを待った。不安が、頭の中でグルグルと回った。


夜が明けた。電気、水道、ガスは出ない。部屋中物が散乱していた。掛け布団の上に、花瓶が落ちていた。壁面収納は、扉が開いていた。子供に直撃していたらと思うと、ゾッとした。リビングサイドボードに置いていたテレビが、反対側の壁まで飛んでいた。天井から吊るしていた電灯は、何故かカバーが落ち、電球だけが揺れていた。


後で知ったのだが、私たちの住んでいたマンションは、阪神高速道路635メートル倒壊現場西端近くであった。

9階から街並みを見下ろした。すべての木造住宅は、屋根が落ち、瓦と土が散乱していた。西の方をみると、煙が上がっていた。眼の前の光景を、私には理解できなかった。落ち着こうと、ベランダで小便してしまった。


マンションを下に降りていった。エレベーターは使えない。5階では、階段が一部落ち、各住居の鉄製の扉が、外に向かって、くの字になっていた。まるで、建物全体が地面から浮かび、再度ドーンと落ちたようだった。


鉄筋コンクリート造のマンションは、人の命を守るシェルターだと信じていた。しかし、一度巨大な地震エネルギーを受け止めると、建物は人を死に追いやる凶器と化した。 夜が明けても、不思議と外から全く音がしなかった。人々が営むと、車や電車が走り、人の話声など、音が聞こえるものだが。犬も、鳥も鳴かなかった。音が聞こえない街は、不気味だ。夜、六甲山の方を見ると、人が沢山いるのに、明かりが見えなかった。明かりが見えない街も、怖かった。


両親の家を見にいくことにした。いつも見慣れた阪神電鉄の線路では、すべての支柱が倒れていた。ふと、阪神高速道路の方に目をやると、ただならぬ雰囲気に、人が吸い寄せられていた。家並み越しに、道路の突き当たりにグレーの面と白いラインが見えた。クラクションが鳴り続けていた。近づいていくと、高速道路面が、六甲山の方に壁のように垂直に立っていた。普段見慣れた風景が、ありえない光景になっていた。私は、正気を失った。それから一週間、会話が普段通りにできず、声が上ずったままであった。


両親の家は、高速道路635メートル倒壊現場東端近くだった。私達と両親の住宅の間で、高速道路が柱脚ごと六甲山に向かって倒れていたとは知らなかった。電気、ガス、水道、電話等のインフラは全て停止した。テレビ、新聞からのニュースが入らなかった。外からくる情報は一切入らなかった。世界から取り残されてしまっていた。情報源は、乾電池で動くラジオからだけだった。眼前にある光景だけが、世界がどうなっているかを考える根拠だった。しかし、誰もその眼前の光景を事実として、受け止めることができなかった。何故そうなっているのか理解できなかった。孤独や絶望の海に溺れているようなものだ。


両親の家を見に行くと、並んで建っていた5軒の家が、全部六甲山の方に倒れていた。両親の家が、隣家の松の木に覆いかぶさっていた。前の日置いた車に、家がもたれかかっていた。 その日から、家族7人はどう避難するのか。家に残っている荷物はどうするのか。壊れた建物をどう解体するのか。新しい家の再建はどうするのか。全ての問題が一度に吹き出した。


約30年後知った事だが、ロスアンゼルス・ノースリッジ地震の八倍のエネルギーをもつ都市直下型地震は、全てを破壊した。その前日までの当たり前の生活を取り戻すには、多くの人との協力なしではできなかった。地震の負のエネルギーを、日々の営みをプラスマイナスゼロに戻すのに必死だった。  


芦屋


路傍に咲く月見草の花が綺麗と、私の心に沁み入って来たのは、5月末になっていた。 自然に傷めつけられたと恨んではみたが、実は人間は自然の一部でしかなかった。六甲山の上、綺麗な青空に白い雲が浮かんでいた。

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